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立花孝志襲撃事件を機に、1921年11月4日、原敬首相暗殺事件を振り返る

先日、立花孝志襲撃事件がありました。

この件で、発信をされている国会議員は数少ないように思います。原口一博さんがそのお一人。

これまで、日本国内で様々な要人襲撃事件がありました。

今回、1921年11月4日、原敬首相暗殺事件を振り返ってみます。

産経新聞の記事を紹介します。

「凶刃に斃る」原敬暗殺 警護の難しさ 警視庁150年 13/150

「突如凶刃に斃(たお)(たお)る 匕首(あいくち)深く右肺部を刺し一語をも発する能わず」

大正10年11月4日、東京駅で発生した原敬首相暗殺の衝撃を、5日付『時事新報』はこう伝えている。現職の首相が暗殺される、当時類を見ない事件だった。

原は駅の改札口に向かって歩いていたところを、走り込んできた国鉄職員の中岡艮一(こんいち)=当時(18)=に刺された。

原敬首相暗殺の現場となったJR東京駅丸の内南口には、現場であることを示す床の表示(手前)と、案内板が設置されている=東京都千代田区
原敬首相暗殺の現場となったJR東京駅丸の内南口には、現場であることを示す床の表示(手前)と、案内板が設置されている=東京都千代田区
当時、ロシアで起きた日本人虐殺事件などで原内閣への批判が高まっていた。中岡らに対する東京地裁判決によると、中岡は新聞や雑誌で原への批判記事を読み、さらに上司が別の暗殺事件の犯人をたたえるような発言をしていたことから、犯行を決意したという。

多数の人が行き交う駅頭は、警備の難所として知られる。原にも警備はついていたが、判決文によれば、柱の陰に隠れていたとみられる中岡が飛び出したとき、すぐ近くにいた警視庁の巡査を含め、誰も動くことができなかった。

また、『原敬伝』は、警視庁が護衛を増やすよう進言したが、原自身が「なあに、如何程(いかほど)護衛が付いていても、やられる時はやられるよ」(『同書』)と断ったとのエピソードを収録している。

対象者の意向と安全確保をどう両立するか。事件は、要人警護の難しさを伝える側面も持ち合わせている。

原敬暗殺の際に、犯人は新聞や雑誌で批判記事を読んだ、とのことです。

立花孝志襲撃の犯人も立花孝志への批判報道がきっかけという点では共通しています。

ただし「他の議員を自殺に追い込んだ」という話の根拠はありません。

・竹内氏が死亡した原因は立花氏がSNSと立会演説会で犬笛したから、はひとつの仮説にすぎない。他にも原因が考えられる。たとえば母親の死、たとえば斎藤氏再選による喪失感。竹内氏は斎藤氏再選の翌日議員辞職したことが犬笛説では説明できない。
・立花氏の暗殺未遂事件は、立花氏に悪い評判が立ったからに間違いない。他の動機は考えられない。悪い評判を形成するにあたってTBS報道特集が吹いた犬笛はとても大きい。

最後に、関連動画を紹介します。

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