スポンサーリンク

寺越事件 多くの国民が知るべき事件 嶋崎譲は北朝鮮側の国会議員

今回は北朝鮮による拉致問題です。寺越事件です。

嶋崎 譲 代議士(社会党)拉致隠蔽
◆ 1963(S38)年5月11日
寺越昭二(当時36)
外雄(同24)
武志(同13)
が漁に出て行方不明。
死亡したとして葬儀済ませる
◆1987(S62)(24年後)外雄氏から姉の栗原豊子氏に北朝鮮で生活している旨の手紙が届く。
◆1968(S42)昭二 死亡
◆1994(H6)外雄 死亡

2023/05/15 #北朝鮮 #拉致問題
石川県志賀町で漁に出た3人が行方不明となり、北朝鮮に救助されたとされるいわゆる「寺越事件」。事件から12日で60年。残された家族が一刻も早い真相究明を求めました。

寺越昭男さん:
「今日みたいな波の無い日、流されていくっていうことは考えられない。3人が3人ともいなくなるっていうのは当時は本当に考えられなかった」

そう話すのは寺越昭男さん73歳。60年前の5月12日、日本海へ漁に出た父親たち3人が突然行方不明となりました。
行方不明となったのは昭男さんの父親・昭二さん、おじの外雄さん、そしていとこの武志さんです。一時、死亡したとされた3人。しかし、その後外雄さんと武志さんが生きていることがわかりました。場所は北朝鮮です。

武志さん:
「嬉しい気持ちで飛行機に乗っていることだけは伝えます」

武志さんが一時帰国したのは拉致被害者5人が帰国する少し前。武志さんは北朝鮮で暮らしていた理由をこう説明しました。

武志さん:
「船で漁に出て、そこで何かあり北朝鮮の船員に助けられた」(※ 発言の自由に制限がある可能性考慮)

拉致ではなく救助だった。これが「寺越事件」が拉致認定できない理由です。
3人が行方不明となってから60年。昭男さんたちは11日、次のように訴えました。

内田美津夫さん:
「10歳の時に親父がいなくなって今年70歳になります。子どもにこの問題を引き継ぐつもりはないんです。私らの代でどうしても活動は終わりにしたいと思っています。ここ何年間が勝負だと思っています」

北野政男さん:
「いつどうなるかわからないっていう病気でもあるし、年齢でもあるし、これをきっかけにまた、石川県の人たちやあるいは全国の人たちに拉致問題をもう一度認識してもらえればと思います」

寺越昭男さん:
「1年が物凄く早いんですよ。今年も何もなく終わった、今年も何もなく終わった、その繰り返しで今のままでいくと5年、10年というのがあっという間に過ぎていくんじゃないかなという気がします」

残された時間はわずかです。

2024/02/27 #能登半島地震 #テレビ金沢 #石川
【2024.2.27OA】
61年前、能登半島沖で行方不明になり、その後、北朝鮮で生存が確認された寺越武志さんの母親で、長年、訪朝を重ねてきた友枝さんが、亡くなったことが分かりました。92歳でした。

2024/11/12
1963年に日本海で行方不明となり、現在は北朝鮮で暮らしている寺越武志さんの動画と写真が、金沢市にいる妹の元に届きました。

髪が白く、頬がこけた様子の男性。1963年、志賀町の沖合で漁をしていて行方不明となり、その後、北朝鮮で暮らしていることが分かった寺越武志さんです。

動画と写真を受け取った妹によりますと、今年9月に北朝鮮を訪れた、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者が撮影しました。10月22日に妹の元に届けられ、武志さんから「お前も元気でおれよ。お互い頑張りましょう」と電話があったということです。

武志さんに会うため、2018年までに66回、北朝鮮を訪問した母・友枝さんは、今年2月、92歳で亡くなりました。妹は「兄に会いに行き母の遺骨を渡すための道筋を日本政府につけてほしい」と願っています。

問題解決に欠かせないこととしては、多くの国民がこの事件を知ることが重要と思います。

そして、北朝鮮側の国会議員が日本にいることを知ることも重要です。なので選挙ではしっかりと考えて投票する必要があります。

それにしても、北朝鮮による密入国や拉致の多さには驚きです↓。※確認されていないものも多い可能性あり。

2022/10/07 #金正日 #漁船 #海上保安庁
戦後、北朝鮮の工作員は相次いで日本で逮捕され、1948年から2001年にかけて確認された事件の数は50を超えます。それらの事件で明らかになった工作員の密入国と密出国の実態。さらに拉致事件や工作船事案を加え、北朝鮮工作員の上陸ポイントと脱出ポイントを列島地図にまとめました。船や飛行機のイラストはイメージです。

↓もしよろしければ応援クリックお願いします。
人気ブログランキング

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク

コメント

  1. Four-Leaf Clover より:

    緊迫度が伝わる痛ましい事件・・・
    その重大さは受け止めた上で、少し違う視点で感じることを書きます。

    浜田先生にも、改めて教えてもらった通り、
    戦後は半島に渡る日本の住民はかなり大人数だったようです。
    「キューポラのある町」では、半島系の皆さんを、軽いながらも侮蔑する言葉もありました。社会に馴染みにくい人も、通常の日本人よりは多かったということでしょう。
    そうすると、なぜ一般の日本人を拘束し連れ去る必要があったのか。
    日本に住む半島系の人は大勢いて協力者を見つけることは難しくなかったでしょう。語学堪能で日本語も、意識としての母国語も話せるような日本国籍者もいたでしょう。

    日本語、文化や習慣の教官にするために暴力的に連れ去ったとすれば、半島側もリスクやコストが高すぎます。
    勉強不足な考えかもしれませんが、先方としては人質として・・例として1人10億円等、金銭と交換する意図があり、目的のひとつだったのではないでしょうか。日本国政府が拉致被害の事実すら認めようとしない期間が長かったのは、その裏交渉を持ち掛けられていたことを表沙汰にできなかったからではないかと想像してしまいます。拉致を認めて、1回でもお金を払えば、更に暴力的に誘拐され続けます。ものすごい人数になってしまっても割引することなどできません。これは憶測の範疇です。

    更に考えなければならないのは、南側です。
    結果を見れば、保身のための幼稚なひとりクーデター未遂かもしれませんが、「大統領を逮捕」というのは法律の建付として有り得ないと聞きました。法も、司法も行政も、機能していないということです。半島は気づけば全土が、既に北なのかもしれません。

  2. せふぇむ より:

    「拉致ではなく救助」
    いろいろと難しい事情があるのでしょうね。
    いぜん、江頭2:50さんも北朝鮮に行った際に、発言や表現に制限があるエピソードをお話されていました。
    拉致解決は時間が迫っていますね。