スポンサーリンク

南大東島 X上でばやりーすさんの投稿が充実!

南大東島から倉敷市の自宅に帰ってきました。南大東島には2泊3日の滞在で、充実した日々を送れました。

X上で、南大東島の情報をたくさん書かれている方のポストを紹介します。70以上あるのですが、見ごたえたっぷりです。

第三代琉球列島高等弁務官ポール・W・キャラウェイ中将之像・土地所有権認定記念之碑
明治に南大東島へ開拓に来た農民たちは、玉置商会との間に30年後は各個人へ土地の所有権が移ると口約束した。しかし、玉置商会の権利は東洋製糖、大日本製糖へと変わり、第二次世界大戦で大日本製糖は壊滅。
約束を反故にされた農民たちは昭和26年に立ち上がり、土地所有権獲得運動を開始。昭和36年にキャラウェイ中将が来島した際に直訴を行ったことで米軍当局が急に動き始め、昭和39年に米琉合同土地諮問委員会によって農民の所有権が認定された。
キャラウェイ氏は金融機関などへ厳しい制限を施した影響で沖縄本島ではあまり良いイメージは無いが、南北大東村では恩人として慕われている。

ヤギ道・ゴジラ岩
南大東島の西岸にある海岸。島は海食崖に囲まれているため、こうやって海まで出られる道があるのは貴重。
異人穴から奇跡の生還を果たしたキットセップ号の船員を救出した際にヤギを放ったことで、明治期の南大東島にはヤギが大増殖。特にこのあたりにたくさん居たことからその名前がついた。ゴジラ岩は単純にゴジラに見える岩があるだけ。

上陸記念碑
明治33年に無人島であった南大東島へ最初の渡島者が上陸したのがここ西港であり、ここから開拓が進められた。昭和5年に江崎氏によってコンクリート造の3本の柱に建て替えられ現在に至る。
碑は右から、玉置半右衛門の命により初上陸した洋丸船長小島岩松上陸記念碑。真ん中が明治37年の暴風雨で遭難した小島・岩松・山田氏を偲ぶ碑、左側が大東島開拓と鳥島が噴火したことを記念している碑となっている。

ボロジノパーク
南大東島が初めて国際的な海図に登場するのは19世紀で、⽂政3年(1820)にロシアの海軍佐官ポナフィディンが南北⼤東島を「発⾒」し、艦名ボロジノに因んで命名したとされている。
その後は日本が領有権を確定し大東島の名前が付けられたが、この公園はそのボロジノにあやかって命名されている。

ばやりーすさん、たくさんの貴重な投稿ありがとうございます。

私は今回の滞在では星野洞に行けなかったことが心残りです(最終日の午前に行く時間はあったけど雨のために断念)。

次回、訪問時には行きたいと思います。

↓もしよろしければ応援クリックお願いします。
人気ブログランキング

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク

コメント

  1. Four-Leaf Clover より:

    なんてことでしょう!
    この記事を見て、いちばん興味を持ったのが「星野洞」。
    それなのに…雨では仕方がないですね。笑

    浜田先生が、再び大東島を訪れる目的が増えることも、雨の恵みかもしれません。
    その次の夜に降った東京での雨は、40日ぶりだったそうです。

    ーサトウキビは島を守り、島は国土を守るー

    産業は礎、人は垣

    軍人以外の一般国民の居住は最大の離島防衛…
    大東諸島の皆さんの暮らしが平和に続くことを祈り、感謝を込めて同じ国民であることに喜びを噛み締める気持ちです。

  2. とみえさん より:

    建物が低くて頑丈ぽいなと思ってましたがやはり台風が多いからなんですね。
    NHK党はキャラウェイさんみたいな善行をしているなと思いました。