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多文化共生→他文化強制になってはいけない

今回も大分県日出(ひじ)町でのイスラム教の土葬墓地建設に関する話です。

以前の記事とかぶる内容が多いですが、今後の日本の在り方において重要と思われるので改めて取り上げます。

イスラムとの共生には注意が必要

日出町長選挙の後の報道があります。

別府ムスリム協会の代表が「地元の理解を得られていることを説明したい」とのことです。

反対派の町長候補が選挙に勝利したのですが…。

 大分県別府市の宗教法人「別府ムスリム協会」が同県日出町で建設を計画しているイスラム教徒の土葬墓地を巡り、25日の町長選で計画に反対する前町議の安部徹也氏(56)が初当選し、先行きが不透明となっている。町は建設予定地の町有地売却に向けて手続きを進めてきたが、安部氏は売却を許可しない考えを表明。改めて協会側と協議する考えを示している。

協会のカーン・タヒル代表(56)によると、イスラム教では火葬は禁忌とされ、日本国内での墓地の確保が課題となっている。協会は土葬墓地を整備しようと、2018年に町内の別の土地を購入したが、地元住民らの反発を受けて予定地を町有地に変更。現在の予定地では、町と事前協議を進めてきた。

(中略)

3選を目指した現職の本田博文氏(71)を大差で破った安部氏は26日、報道陣の取材に「政治的解決が必要だ」と強調。「水源への影響がないという科学的な証明がない。手続きを停止して協会側と話し合わないといけない」と述べた。

カーン代表は27日、読売新聞の取材に「地元の理解を得られていることを説明したい」と話した。

この件に関する某ブログ記事を共有します。

日本に譲歩させることしか考えてないのは共生とは言えない

別府ムスリム教会のカーン・タヒル代表:
「土葬墓地を全都道府県に一つずつか、既存の公営墓地に土葬区画を整備しろ」
(と、厚生労働省へ要求を出す)
「日本の進歩のために私達も頑張らないといけない。多文化共生のために良いこと」

本田博文町長は地元や周辺自治体からの反対の声をガン無視して
日出町にムスリム専用土葬墓地を作らせるべく土地の売却話を進めていました。

今回の町長選挙では現職2期で現職圧倒的有利なはずの立場ながら、
ダブルスコアで土葬墓地計画反対の新人に敗れました。

これこそ民意でしょう。

ところがこの別府ムスリム教会の代表とやらは
「地元の理解を得られている」
と明らかに説得力の無い主張をしています。

ムスリム土葬専用墓地を整備し売却する事に
地元の理解を得られているのなら
その地元の選挙で反対を掲げる新人が
現職に対してダブルスコアで勝つなんてまずありえないはずです。

かなりはっきりと民意が示されたと言って良いのではないかと思います。

そもそも、
「各都道府県に一箇所ずつムスリム専用土葬墓地を整備しろ」
なんて要求をしている時点で多文化共生ではなく
他文化強制でしょう。

実際に土葬が認められない国では
彼らは遺体を母国へ輸送させて埋葬しています。

ところが日本の場合はゴネれば通れる
ということを理解しているので
何様だよと言いたくなるようなゴネ方をしているのだと思います。

日本人相手ならゴネればいずれ通るということを
入れ知恵している連中もいるでしょうね。
そういうことを飯の種にしている人権屋とか。

それで土葬墓地を手に入れたら
そこは永久にムスリム用土葬墓地として占有されるわけですよね。

ムスリムの親から生まれたらもうそこでイスラム教強制なわけで
棄教・改宗を認めない、宗教の自由を認めないのは
日本国憲法の観点から見てもちょっと問題があるのではないでしょうか?

自分達は自分達の都合から要求するだけ。

寛容とはほど遠いく、日本国憲法の精神とも対立する。

これを日本人側が一方的に譲歩して受け入れる事が
「多文化共生」と言えるでしょうか?

この件に関して2点重要ポイントと考えます。

・実際に土葬が認められない国では彼らは遺体を母国へ輸送させて埋葬している。

・日本の場合はゴネれば通るということを理解しており、入れ知恵する者がいる。

1点目については、私の方でも調査をしてみることにします。

私のXに寄せられた意見にもありました。

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コメント

  1. 4-YouMe より:

    私が出会ったことのあるイスラム教徒の多くは、特別な生まれ育ちの人しかいませんでした。紳士的で、こちらから尋ねなければ時間を作って目立たないようにお祈りをしていることも分かりませんでした。

    時代をさかのぼり、多神教だったシュメール文明には、日本語かと思しき言葉が多くあると聞きます。紀元前は、意外にも世界中がつながっていたのではないかという説があるそうです。

    天地創造は・・・天地開闢、古事記に描かれる天地初発之時のようです。一神教は、厳しい風土の中で圧縮された、いわゆる宗教というより、概念か哲学のように感じます。

    一神教徒の皆さんは、同じく一神教の信者であれば他を「異教徒」として考えます。価値感の違いを明確にしても、同等格であり相手を下に見ても、部族、敵として互いに認め合います。一方で多神教については、異教徒でさえなく文化ではないとします。そのため、偶像崇拝、多神教を崇める者には教えを与えます。「概念」を共有できないとなれば、価値観の通じない無神論者とする、何をするか分からない野蛮な存在、人間ではないものと分類するのでしょう。

    私も若年の頃には「仏教徒か神道だと言いなさい」と言われたことがあります。現代のキリスト教徒でも、無神論者は「道徳のない者」として侮蔑的な行動を取られる場合があると習いました。(よく聞かれましたが、宗教感は持っている、敢えて言えばキリスト教に共感するが、日本の宗教も温かい、しかし信者ではない・・と思うままに話したことしかありません。うそを言うだけのメモリを使いたくないため、おバカな正直者だと直ぐに伝わり、人の話を聞き出す方が好きなので問題は起こりにくかったようです。)

    イスラム教徒だからではなく閉塞感のある貧しい移民だからです。
    日本人と比較すれば世界標準に近い「貪欲な人々」であることが問題であり、イスラム教の教えを持ち出す場合でも「言い訳」にしているだけでしょう。確かに経典には書いてありますが、宗教はホモサピエンスにとって共存することを目的としたものです。

    *****************
    葬儀屋さん
    https://www.e-sogi.com/guide/15103/
    https://www.eranda.jp/column/20069
    https://www.tebiki-bito.com/todo/transportation/airplane.html
    まるで、カルテルのようです。笑
    *****************
    この話題に、自分なりに少しは知っている経典の文言をひとつひとつ書きたいところですが、善良な皆さんに失礼なので控えます。
    代わりに、トルコ共和国憲法を取り出したいと思います。

    前文「・・・トルコ国民によって、民主主義を愛するトルコの若者の祖国と国民への親愛に信託される。」この部分は、なかなか好みです。イスラム風の騎士道です。

    Ⅹ.法の下の平等
    第10条
    すべての個人は、言語、人種、肌の色、性別、政治思想、哲学的信念、宗教、宗派および同様の理由による違いに関わらず、法の下に平等である。
    いかなる個人、家族、集団、または階級も特権を認められない。
    国家の諸機関および官職は、すべての職務に関し、法の下の平等の原則に従って活動しなければならない。

    ほらね。EU加盟した国ですから。笑
    クルド系の皆さんはイラクでは酷い目にあいましたが、トルコでは違うはずです。

    物好きな方がここまで読んでしまった場合のお礼に貼っておきます。
    公益財団法人 日本国際問題研究所
    https://www2.jiia.or.jp/pdf/global_issues/h12_kenpo/07turkey.pdf#:~:text=%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95

  2. 0924 より:

    別府の教会の連中は、まだ諦めていないようです。
    帰化日本人だろうがなんだろうが、日本の国柄に背く外来宗教の押しつけを容認するわけには行きませんね。
    ttps://x.com/reiwapost/status/1849745667822178599

  3. 0924 より:

    西尾幹二氏の御冥福をお祈りいたします。
    生前の多文化共生への警鐘ともいえるこれらの言葉は深く私達の心に刻まれるべきでしょう。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    死去の西尾幹二氏、昭和末から移民問題に警鐘鳴らす 「多文化社会、実現したためしない」(産経新聞)

    1日に89歳で死去した評論家、西尾幹二氏は昭和の終わりから外国人の単純労働者導入に慎重論を唱え、平成元年には著書で「労働鎖国」を訴えていた。テレビの討論番組でも孤立無援の中で問題提起するなど、いち早く、また一貫して「移民問題」に警鐘を鳴らし続けた。

    西尾氏の産経新聞への寄稿によると、ヨーロッパの事情に精通する西尾氏が外国人単純労働者の導入に慎重論を唱え出したのは昭和62(1987)年。2年後の平成元年には「労働鎖国のすすめ」を出版、版を重ねた。当時出演した「朝まで生テレビ」でも他の出演者らの激しい野次が飛ぶ中、淡々と持論を述べ続けた。

    平成初期、「開国派」の有識者は「発展途上国の雇用を助けるのは先進国の責務だ」などと口にしていた。そのとき、ある県庁職員が議会で西尾氏の本を手に、こう訴えたという。

    「牛馬ではなく人間を入れるんですよ。入ったが最後、その人の一生の面倒を日本国家がみるんですよ。その対応はみんな自治体に降りかかってくる。私は絶対反対だ」

    西尾氏は《この人の証言は…私の本がそれなりに役割を果たしていたことを物語っていて、私に勇気を与えた。私は発言以来、不当な誹謗や中傷にさらされていたからである》と振り返っている。

    しかし、その後も政府は「外国人労働者」に門戸を開き続けた。平成30年には人手不足の業界に「特定技能」という在留資格を新設。昨年からは家族帯同の永住も可能になる在留資格へと拡大された。

    西尾氏は特定技能をめぐる法改正について、当時の産経新聞への寄稿で《人口減少という国民的不安を口実にして、世界各国の移民導入のおぞましい失敗例を見て見ぬふりをし》たと批判し、こう訴えた。

    《「多民族共生社会」や「多文化社会」は世界でも実現したためしのない空論で、元からあった各国の民族文化を壊し、新たな階層分化を引き起こす。…彼らが日本文化を拒否していることにはどう手を打ったらよいというのか》

    それから6年。「移民」と日本人の問題に警鐘を鳴らし続けた碩学は鬼籍に入った。

    ttps://www.sankei.com/article/20241101-J5IYKUDYBJPPHIDWHSNKZ7YK5I/