今回は明石元二郎についてです。
日露戦争における日本勝利の陰の立役者です。
スパイとしてロシア革命を起こした重要人物の一人と言ってもいいかもしれません。
日露戦争で、勝ち目の無い闘いを勝利に持っていったのは、最後まで諦めなかった伊藤を始めとする政治家達、そして、戦争の天才 児玉源太郎や間諜の天才 明石 元二郎など、有能な人材が力を出し切ったからだと俺は思っている。今の日本に、彼らのような、侍はいるのか?
(´・(ェ)・`)・・・・・・・
— white-elephant (@katsumi_h) May 30, 2019
これだけの偉業を成し遂げられる力のひとつとして代表的なものが語学力でしょう。
英語、フランス語、ロシア語、ドイツ語を堪能に操れたとのことです。
コンビニ寄ったら明石元二郎の本が
売ってたwwドイツ語も堪能なのに
フランス語がちょっと話せますキャラで
安心したドイツ人たちがドイツ語で
重要情報を隣で話し出したエピソードは痛快だよね(笑)衝動買いしたwあとで読むw pic.twitter.com/wop2Ibh90d
— まりお (@mario0101) March 19, 2017
台湾総督となり、55歳で死没しました。
福岡検定の勉強で驚いたシリーズ。大名町出身の軍人、明石元二郎。有能すぎる国際スパイ。まさに和製ボンド。レーニンのロシア革命を支援し、裏から日露戦争を勝利に導く。その後台湾総督として活躍。遺言により、福岡でなく台湾で埋葬された。 pic.twitter.com/Vz7Av0PcBD
— 天三 (@tensan990) January 26, 2017
さようなら總督/明石元二郎
1919年、明石知事は故郷の福岡県で公務のために帰国した際に病気で亡くなりました。
最後の言葉「何かあったら台湾に埋葬される」
BY帝國の臺灣 pic.twitter.com/g5GJ31H1M3— carl 林-忘れられる帝國南方島嶼 (@carl_lin_tw) April 27, 2022
正月に二泊三日の旅 三日目④
台北林森公園にある明石元二郎総督の元お墓地。
明石元二郎総督(1864-1919年)は、福岡藩博多大名町出身、日本陸軍大将、日本統治時代第7代総督、唯一の任内逝去及び台湾に葬られた総督である。
【明石元二郎總督墓】
10491台北市中山區南京東路一段35號號 pic.twitter.com/HWzJYF3wqA— 台湾観光専用車 貸切チャーター (@Tommy_KouTW) March 5, 2021
福岡・筥崎宮で第7代台湾総督の明石元二郎陸軍大将の顕彰碑除幕式に参列。“死して護国の鬼となり、台民の鎮護たらざるべからず”と遺言し、今も台湾海峡を望む地に眠る明石は日露戦争を勝利に導いた史上最大の謀略戦“明石工作”の主でもある。死後103年を経て、しかもプーチン戦争のさなかの建立に感慨… pic.twitter.com/3JrhbEPJG6
— 門田隆将 (@KadotaRyusho) April 23, 2022
福岡に行く際には、筥崎宮(はこざきぐう)には足を運びたいと思います。
明石元二郎と日露戦争に関するX上のポストを紹介します。
2/16
ロシアに対する日本の要求は主に、清国と朝鮮に干渉するな。アジアのことは日本に任せて欲しいという内容だった。それとは別に日本が費やした戦費の賠償要求と、樺太の領有権を認めさせるという難題があった。
これは主に国民からの要望だった。— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
4/16
日本国民が考えるほど、この交渉は簡単では無かった。何しろ資源国のロシアは戦争を継続する力があった。日本にはその余力が無かった。
日本は停戦交渉をどうしてもまとめたかった。— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
6/16
日本との開戦に不満を持ったロシア民衆が帝政打倒のテロを開始したのだ。戦争開戦から約6か月後には、日露戦争を推進した内務大臣プレーヴェが、乗っていた馬車ごと吹き飛ばされ亡くなっている。
— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
8/16
血の日曜日から一か月後にはニコライ二世の叔父のモスクワ総督が爆弾で暗殺された。市民に銃を向けた報復だろう。ニコライ二世も日本との再戦は無理かもと考え始め「清国と朝鮮に干渉しない。賠償金は払えないけど樺太の北緯50度以南の樺太をあげる」ということで交渉が成立した。
— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
10/16
サンクトペテルブルクに武官として駐在していた明石は、日露が国交断絶した時からスウェーデンに飛び、反ロシアの地下組織に接近し、銃や爆弾をばら撒いた。ポーランド、フィンランド、ウクライナにも飛んで反ロシア活動を助け、資金を提供した。
— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
12/16
日露戦争終結後も内乱の勢いは止まらず、結局12年後にロシア革命で帝政ロシアは崩壊した。ロシア革命が起こった背後には、明石という日本のスパイマスターが活躍していたのだ。
— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
14/16
ある時などは、参謀総長の山縣の前で自分の考えを熱弁しているとき、小便を漏らした。
参謀総長の足元まで小便が流れていっても本人はまったく気にしていない。
話に熱中しすぎて漏らしているのに気づかないのだ。
几帳面なところもあって、余った工作費用を返納した稀有なスパイだった。— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
16/16
戦後「日本人は情報収集能力が弱い」とか「日本人には大きなことはできない」などと思い込まされている。しかしそんなことはない。
GHQに記憶操作される前の日本人は、できないことは何もないと信じていたし、実際になんでも実行した。
そして成功させていた。— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) December 19, 2023
2/8
ここで衝撃的なアメリカの裏切りがあった。
ロシアのニコライ二世が「樺太の南半分を日本に譲ることを小村に伝えてくれ」とアメリカ大使に言ったのに、アメリカ大使が握りつぶしたのだ。そして逆に「日本は賠償金を貰うのを諦めたほうが国際社会の評判が良くなる」と小村に進言した。
— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) January 8, 2024
4/8
日本国民は怒った。
たくさんの犠牲を出したのに賠償金が取れないとはどんな役立たずかということなのだろう。「小村がどこで暗殺されるか」と賭けをする者も出てきた。暴徒が小村の家族が住む官舎に詰めかけ火のついたわら束を投げ込んだり庭に乱入したので小村の家族は死を覚悟した。
— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) January 8, 2024
6/8
小村寿太郎は徳川幕府が幕末に欧米と結んでしまった不平等条約の改正をやり遂げた明治の優れた外交官でした。しかし一般国民が外交を理解できるはずもなく、日露の駆け引きの詳細を公表できるわけもなかった。
当時は小村を恨んだ人もたくさんいたと思う。— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) January 8, 2024
8/8
政治に関心があればあるほど違う方向に突き進んでいくツイッターのアカウントたちを見るとき、民主主義の限界を見ている気になる。学校教育の改善無しにバカを矯正することはできないと思う。
— PCR診断は査読されていません (@OrangeBoxKitty) January 8, 2024
上の動画では、明石元二郎が行った4つの工作が紹介されています。
・破壊工作
・反乱幇助
・心理戦
・政治戦争
今の日本が沖縄を始め全国でこれらに苦戦しているのは皮肉なことです。
最近は歴史学習の重要性を痛感する日々です。