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真岡郵便電信局事件について 当時のソ連にとって8月15日以降も戦争は続いていたという見解

今回は1945年8月20日に起こった真岡郵便電信局事件についてです。

場所は日本名で真岡(まおか)市、ロシア名でホルムスク市です。

事件の前に、この市について2点。

・かつては王子製紙があった。

・釧路市と姉妹都市。

本題の事件のポイントとしては、1945年8月15日、日本は終戦・降伏の立場かもしれないが、当時のソ連はその立場を考慮せずに攻め込んできた、ということです。

悲惨な事件です。稚内に行く際にはこの碑にも訪れたいと思います。

8月16日のニッポンジャーナルというインターネット番組で、今後の政策立案で参考になるようなことが述べられていました。

以下、自分の備忘録として重要と思った点を羅列します。

・1945年8月15日ポツダム宣言受諾後にロシアが日本に攻め込んできた。

・8月17日~23日、占守島(シュムシュとう)の戦いでの日本軍が奮闘した。

・8月22日、三船殉難(さんせんじゅんなん)事件:樺太から北海道に引き上げてきた日本人が乗っていた三隻の船を、ソ連軍の潜水艦が襲撃した。

・ロシアや中国の軍隊による、日本の民間人への虐殺事件を○○事件と呼ぶのは妥当なのか?○○虐殺と呼ぶべきでは?

・ロシアとの戦いについては、ロシア軍に対抗できる防衛力、のみならず、ロシアの内部から攪乱させる情報戦も必要。

・上記と関連して、元ロシア国会議員であるイリヤポノマリョフ氏など、反ロシア主義のロシア人はそれなりにいる。

・千島列島や南樺太については、日本は領有権を放棄したかもしれないが、だからといってロシアが領有する正当性はない。

ニッポンジャーナルさんは、勉強になることが多いです。ありがとうございます。

最近は全編を無料公開していただいており、ありがたいことです。

本来の有料版の動画を公開していたニコ生がサイバー攻撃からの復旧途中なので、現在無料公開とのことですが、復旧後は有料会員になろうと思います。

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