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1991年6月3日雲仙普賢岳で大火砕流 43人が犠牲

SNSで次のポストが私の目を引きました。

駄目だ、やはり 許せない。 で始まります。

当時の現場の映像(※閲覧注意)動画を共有します。コメント欄もある意味閲覧注意です。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

私も時間を見つけて現場に足を運んでみたいと思います。

さて、テレビ番組動画を見たところ、番組作成者つまりマスコミによる反省がないように思います。

「忘れてほしくない6月3日」雲仙普賢岳大火砕流から33年  犠牲者慰霊と噴火災害の教訓継承へ《長崎》

SNSコメントを共有します。

↑ポストのリンク先資料を一部共有します。

報道関係者が多いですが、それだけ多くの報道関係者が危険なところへ足を運んでいる状況では、警察官や消防団の方々も放置するわけにはいかなかったのでしょう。

この記事記載をきっかけに、毎年6月3日にはこの事故を思い出すようにしたいです。

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コメント

  1. とみえさん より:

    島原に行かれた際は是非原城跡にも行かれてください。
    景色が最高ですが、籠城した天草四郎が船を待った海を望めます。
    厳しい年貢で一揆を起こさせた殿様が最終的に身分を奪われ気が狂った話が好きです。

  2. aeg_ok より:

    チンケな功名心から地元民を巻き添えにしただけでは飽き足らず、
    歴史修正により将来への教訓すら消し去らんとした罪は到底購えるものでない。
    ネット社会の進展により情報構造の変化にすら気付かぬ愚者には、
    淘汰による自然消滅こそ相応しい。

  3. 茶葉 とろろ より:

    叔母が島原市に住んでいます。テレビで過去の雲仙・普賢岳のニュースが流れるといつも何があったのかを家族で話していました。
    島原市には眉山という山があります。雲仙・普賢岳が噴火した際に、眉山があったおかげで親戚は火砕流や土石流の被害がなかったと聞いています。火山灰は積もったそうです。
    先生のブログ動画を見て初めて知る事がたくさんありました。近くに行ってしまった人を助ける為に消防団の方など行かなくてはいけないのは、ツライ話です。

  4. 4‐YouMe より:

    当時の映像と地図は見たことがあります。名簿にも覚えがありました。
    災害、危険な地域や事件について報道するためには、そのリスクを予め学ぶことは必須です。報道機関は数字を稼ごうとしますが、同じくパフォーマンスで8議席もの票を稼ぐ奇妙な俳優もいます。それをさせるのは、心底求めるのならともかく、視聴者や有権者の無意識です。
    私がテレビを見なくなった切っ掛けは、救いや理解に繋がらない災害情報の垂れ流しからでした。そして、投票する責任を重く受け止めること、重く受け止めてもらわなければならないことを考えるようになりました。

    昨日の党内トラブルの説明動画を聞き、本来は避けたかった珍妙な事態に心ならずも巻き込まれ、責任を感じていらっしゃることも理解できました。それでも、勝手な期待や親しみの気持ちから、とても辛くて耐え切れなくなりました。穏やかにお話されているにも関わらず、当時の自分が意識的に情報を避けていたことが悔しく、涙ぐんでしまいました。世間から見れば、受信料や広告料ほどでさえないお金の話です。
    しかし、浜田議員は次世代にもつながる存在です。簡単には代わりの利かないユニークな逸材です。
    自信をもって働いてくださるだけで評価は上がるため、ただ気持ちよく公務を続けてもらえれば心配ないと信じています。

    思い立って、立花さんが選挙についてお話をしてくれた、4月の百田先生の番組を聞き直しました。その後、季節も変わりました。黙って、立花さんにお任せすればよいのでしょうか。都知事選で問題は少しでも解決するでしょうか。浜田先生の活動に支障はなくなりますか。私たちには、何ができるでしょう。何かできないのでしょうか。何を書いているのでしょう。何を勘違いしているのでしょう。リスクマネジメントに口を出す立場ではありません。

    消防団の皆さんが「大変な時だからこそ愛する地元に来てくれた」勝手な事情の人たちを思い、身の安全を犠牲にしてでも助けようとなさったのは自然な心理であったことを、ほんの少しだけ理解できるような気がしています。

  5. 0924 より:

    ”警察官や消防団員が犠牲になった場所には、火砕流で被災した消防車やパトカーが保存され、慰霊の鐘や追悼の言葉を刻んだ碑が建てられた。

    その一方で、報道関係者が亡くなったいわゆる「定点」は、周辺の取材車両などは放置され、目印として木製の白い三角錐が置かれただけだった。

    過熱気味とも言える当時の取材状況もあって、住民の不信感は強かった。
    「消防団員などの犠牲は避難勧告地域に留まり続けたマスコミのせい」
    そんな厳しい視線が向けられてきたことも、一因となっていた。”

    https://www.fnn.jp/articles/-/159984

    報道関係者が犠牲となった定点は遺族感情もあり長年放置されてきたが、被災から30年を機に地元の町内会が主導して整備をすることになったという記事にて。

    まず書きぶりが尊大。
    マスコミはまるで住民感情を一部の批判として囁かれている声のように、矮小化した書き方をしている。この書きぶりこそ、マスコミ自身が住民が考えているようにまったく思っていないという書き方であるということを表しているのだ。実際にマスコミは今の今まで、公式に過ちを犯した認識を表明することもなく、謝罪もしていないのだ。それでいて住民の好意に甘えて自らの罪から目を背けている。

    どこのメディアも言葉にして過ちに対して懺悔もしてないばかりか、「メディアがスクープを優先する余り、多くの人間を危険に巻き込んで(殺した)」という総括を公式にしていない。民放連もNHKも新聞社も!

    彼らはただ被災当初から多くの仲間が亡くなったと被害者ぶっているだけである。

    今までマスコミの声でかき消して、本当の住民の声をかき消し続けてきた。住民はそれを訴える場所もなく泣き寝入りして、マスコミもほとぼりが覚めるのを待っていたのだろう。

    そしてそれを美談のようにかき立てる。
    マスコミが住民と心を通わせて語り合う場にできるのかとか、いけしゃあしゃあとはこのことだ。

    過ちを認めずにして、前には進めない。記者やカメラマンが個人的な自問でお茶を濁してんじゃねぇよ!って思う。必要なのは公式の総括と謝罪である。本来、石碑に刻むべきはマスコミの過ちであると思う。

    しかし残念ながらこの過ちを認めることのないまま、30年が経ってしまったのだ。

    立花氏が暴漢に襲われたテロ事件も、メディアに漂う尊大さ、特権意識によるものだと思う。彼らはマスコミの声でもって立花氏の声を歪めたりかき消し続けてきたのだから同じである。