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13年前を振り返ってみます

本日は3月11日です。

2011年の東日本大震災の発生から13年が経過しました。

今回は当時を振り返ってみます。

13年前の3月11日、私は京都大学医学部6年生でした。先月に医師国家試験を終え、4月からは(医師国家試験が無事合格なら)青森県で初期研修医として勤務することになっていました。

この頃、私はネパール→中国を回っていました。当時、医学生としてIPPNW(核戦争防止国際医師会議)のカトマンズでの会合に参加していました。

「第8回IPPNW北アジア・南アジア合同地域会議 in ネパール開催される」

その後、卒業旅行も兼ねて中国に行きました。当時、中国チベット自治区のラサに行きたかったのですが、VISA取得など色々と難しい状況です(これは現在もそう)。

というわけで、チベット行は半ば諦めつつ、カトマンズから(旅行者にとってチベット行く前の拠点となる)昆明、成都を回りました。

震災が発生した時刻には、成都市のパンダ基地へ観光に行っていたと思います。当時使っていたソーシャルサイト、mixiで地震を知りました。成都市のホステルのテレビでNHKを視聴できたので、NHKから日本国内の情報を得ていました。

帰国しようにも日本行の便がなかなかない状況でした。

3月18日に医師国家試験の結果発表があり、インターネット上で自分の合格を確認して(国内は大変な状況ではあるものの)一安心しました。その後、何とか航空チケットを予約して帰国しました。

帰国後、4月から青森県十和田市での研修が始まるので、引っ越し準備を進めていました。ただ、京都→青森は、東北地方を経由するということで引っ越しができませんでした。

当時の下宿を退去する期限のぎりぎりになってかろうじて宅配便のみ送ることができるようになったので、大きな家具は処分し、その他の必要なものを段ボール箱で十和田市へ送りました。

十和田市は幸い震災の被害は海岸部の八戸市ほどではなかったこともあり、私は特に不自由なく研修医生活をスタートすることができました。被災地の方々のご苦労を思うと当時の自分の置かれていた状況はそれなりに恵まれており少し申し訳ない気持ちになりました。

振り返ってみると、色々と忘れている部分もあることに気づきました。幸い、SNSでたどれる部分もあるので、時間を見つけて振り返ってみようと思います。

医学生時代に、IPPNWの活動で大変お世話になり、カトマンズでの会合にも一緒に行った茅野医師(現在は神戸市のWHOで勤務)が当時の震災を英語で語っていた動画がありましたので共有しておきます。

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コメント

  1. とみえさん より:

    興味深く読ませて頂きました。
    自分は大分在住なので東日本大震災についてはかなり温度差があります。
    どちらかというと熊本地震、日田の水害です。まだ復旧が終わっていません。これからは南海トラフです。
    今まで福島に原発を押し付け発電させておいて汚染水だ、あげくに移住した人への差別。
    ケアしないのは、東京に住む特権階級みたいな深層心理なのかなと、私は冷ややかな目で見ています。

  2. 4-YouMe より:

    茅野医師がお話しするのは、エネルギーの状況。
    思い返せば、福島第2の建設ではなく、第1が作られた経緯は、なかなか日本の弱みを感じ痛みを覚える話…
    その話はここまでに。

    大きな地震の後に、正式に医師になり戻って来てくださったのですね。生まれ育った京都ですが下宿にお住まいだったこと、宅配便だけで勤務地に向かったとは…
    浜田先生の人生には、どのシーンにもドラマが詰まっているようです。ご職業柄、完璧ではないことに悩まれた経験もあるはずです。そして、多くの方への助力を惜しまずにいらしたことでしょう。見ていないものの伝わってくるかのようです。今回のコラムの温かさが、あの日の地震のことを、ちょっとした冒険の詰まった思い出に変えてくれます。私のように東京にいた者に限りますが。。。素直さが現れた表情や文体に、時々深く心を掴まれてしまうようです。

    浜田先生が支えてくださるのと同じく、私たちもお支えいたします。それが、この世の普通です。いつか次に地震がある時にも、できる限り皆さんと助け合いましょう。