今回は(も⁉)皇位継承に関するこれまでの記事の続きです。自分の頭の中を整理していくために記事を書いています。今回は安定的な皇位継承のために、戦後に皇籍を離脱した旧宮家の復帰に関する話です。
先日、Twitterでこのようなツイートをしてみました。
https://twitter.com/satoshi_hamada/status/1495285489909133312?s=20&t=C3oIGwdp1mQQlm9ilunOaA
すると、色々と反応をいただきました。その反応のひとつを紹介します。
その例外である伏見宮系が今回の皇室典範の改正案にある「旧皇族の皇籍復帰」の対象ですね。
いわゆる「血のスペア」なのですが、万世一系の伝統を断絶させないように戦前まで600年維持していた制度なのだから、全く歴史の無い制度を持ち込むより復活させるのが自然な流れだと思います。— 旧保谷市生まれ (@kq7G7riw6w1O8ym) February 20, 2022
伏見宮系についてご指摘いただきました。伏見宮系とは?について書籍の紹介文が端的にまとまっていると思いましたので、ここで共有します。
内容紹介
(中略)
昨今、皇位継承問題でさかんに言及される「旧皇族」とはいったいいかなる存在か?
「昭和22年10月に臣籍降下(皇籍離脱)した11宮家」というのでは正解の半分でしかありません。正解のもう半分(より重要な半分)は「大正天皇の皇子である秩父、高松、三笠の三宮家(直宮)以外の宮家であり、それらはすべて伏見宮系皇族である」です。こうした初歩的な事柄を押えないままに、あれこれ論ずる向きもあるようですが、すべては「事実」を知ることからはじめるべきです。
伏見宮家と天皇家との血縁は、実はきわめて遠く、その分岐は南北朝時代までさかのぼらなければなりません。世襲親王家として中世から近世まで独自の位置を占めた伏見宮系皇族。その存在は、幕末の動乱を経て近代天皇制国家の成立後、徐々に数と重みを増し、変質してゆきます……。(以下略)
詳細は色々とあり、それを知るためには書籍の内容を知る必要があるのでしょうが、ひとまずは伏見宮系が南北朝時代から分岐しているもうひとつの天皇家という表現が端的で分かりやすいと思いました。
2020年4月の産経新聞の記事↓の図は伏見宮系が南北朝時代から分岐しているもうひとつの天皇家であるという理解があれば分かりやすいと思いました。
皇位継承で「旧宮家復帰」聴取 政府が有識者ヒアリングで 論点整理への明記が焦点に 産経新聞 2020/4/15
皇位継承について伏見宮系についての確認でした。